なぜ? ミャンマー 2012年 2月23日 現在 |
親日的であること | ミャンマー建国の父 オンサン将軍及び独立の志士30人は、 南機関の軍事教練、資金・武器援助・・・ イギリスからの独立にあたって、アウン サン スーチーの父 アウンサン将軍たち30人の志士を援助したのは 日本の南機関 |
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日本からASEANへの投資では 圧倒的に タイへ集中している。 最大の理由は @親日的であること A仏教国であることなど。 建国の父 と尊敬されている 初代大統領 アウン サンは 独立達成の中で 表面的には反日的行動、すなわちビルマ独立義勇軍から ビルマ国軍とするため、 をとった。 しかしながら南機関への心情的 師弟関係は失うことはなかった。 |
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農耕稲作民族であること | 農耕民族と狩猟民族のDNA。日本人の価値観・判断基準は圧倒的に農耕型 | |
稲は 種をまかねば、芽が出ない。肥料をやらねば成長しない。あたりまえだが これが稲作農耕民族のDNA. 狩猟民族のDNAは何か? どこに獲物がいるのか=情報が重要、狙った獲物に どうワナをしかけて (騙しの技巧) しとめるか。 日々の勤勉な積み重ねは 収穫に影響する訳ではない。 日本企業の海外事業での失敗の多くは、農耕型・狩猟型DNAの違いを 理解していない ことが多いのでは ないか。 長年の精進の末 ようやく軌道にのった海外事業。 気がついてみれば外国資本にのっとられていた。 よくある日本企業の例 中国はどうだろうか? 漢民族は 秋の収穫期に 定例的に侵略してくる周辺狩猟遊牧民族に 悩まされた。 秦の始皇帝が 万里の長城を造らざるをえなかった理由だ。 隋、、元、金、清王朝などは 夷狄と呼ばれた遊牧狩猟民族の王朝である。 漢民族といえども、秋の収穫時に 異民族に皆殺しされすべての収穫物も略奪される5000年の 歴史なのだ。 |
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識字率、教育水準が高い | 識字率 83% | |
仏教国であること | 価値観、思考過程、判断基準、哲学など 同じ仏教国であることが圧倒的に有利 | |
日本人の宗教的への一般的理解では、仏教、キリスト教、イスラム教の順であろう。 労働争議、事故など 想定外の事件への対応時 同じ 価値基準で考えできることは 無用な摩擦回避のために 極めて重要 |
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食糧自給率が高い 天然資源、地下資源が豊富 |
食糧自給率 ミャンマー 126% タイ 156% 日本 28% チーク材、石油資源、天然資源など |
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国民性がおだやかであるか? 基本的には衣食住が足りることが 条件であろう。 美味しいものが食べれるか、良い住宅に住めるかは 比較できる対象の結果であり、 所得の上昇が 必ずしも 国民の幸福感の上昇に必ずしもリンクしていないのが実情でしょう。 |
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ASEAN加盟、戦略的立地 | 中国、インド、バングラディッシュ、タイなど今後の成長、人口大国に囲まれ市場の中心地です | |
外交方針の基本は古来より『近攻遠交』 大国 中国、インドと国境を接するミャンマーは この2大国の 影響を受ける。ともすれば 飲み込まれる恐れがある。 隣接するタイ、ラオスでは力不足。 やはり日本と交わるのが賢明な選択。バングラディッシュと国境を接し 日本からの投資が集中するタイの隣国 であり ASEAN加盟国であり、ここミャンマーを足場にすれば成長著しいアジア経済を取り込むことが可能 |
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人件費が安い | ベトナムの3分の一、日本の100分の一 | |
国民一人当たり国民総生産 1700USD | ||
中間管理職・人の採用 英語が通じ易い |
日本人と現地スタッフの意思疎通において、日本語がベストだが。次は英語の話せる スタッフ確保が重要 旧 英国植民地であったため、英語も話せる層が多い 同様事情から 法体系も比較的整備されており 投資環境が良好 |
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では なぜ経済が立ち 遅れたのか? |
東南アジア有数の大国であったが、1962年ー1988年 ネ ウィン軍事政権による社会主義経済 国有企業主導の経済政策により、著しい経済停滞を招いた。 1988年 国家法秩序回復評議会政権により 社会主義経済から自由市場経済へ転換 |
現状、日本の外国投資が、ASEAN諸国の中で タイ国に集中的に行われている。
集中する多くの理由が そのままミャンマーに当てはまる。
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