古代史 結論 ? 『ここは目を通さないのが良い』 のではと思う。手品の種明かしを見るようで。 一方 日本の歴史を理解する上で「なるほど」と納得し、現地で、ご自分の目で再確認をするのも面白いでしょう。 お好きなほうで。 |
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林 青梧氏著 【真相の古代史 日本建国】より拝借する。 672年6月24日 壬申の乱は開始されたが、余豊樟(日本書紀では天智天皇、百済 義慈王の3男、叔母 宝は皇極・斉明天皇) と金多遂(日本書紀では大海人皇子、新羅王家 金春秋の部下・貴族)の対決は すでに前年10月17日に始まっていた。 その頃病床にあった余豊樟は 自分亡き後の一子 大友の命運について、危惧をおさえることができなかった。 筑紫に駐屯する郭務?(唐 駐留将軍 白村江での対日戦将軍)から金多遂のもとに しばしば使者が訪れ、鎌足もそれに反応し 動いていることを、・・・・ |
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おすすめ 黒須紀一郎氏著「邪馬台創生」 戦乱と飢餓、災禍と殺戮の大地を東へ東へと逃れ 日本に辿りついた時ハタッと気が着いた。 これ以上逃れる大地はない。 すべてを飲み込む大海原があるのみだ。 ここでは先住者も新たな侵入者も ともに平和に共存する以外 生きる道はない。 西暦200年代か? 女真族?フツを中心とする蘇の民が任那から出雲に定着。オロチ族を破り、 出雲から大和へ進出し はじめて地域連合国家を造った。 大和に進出したのはスサノオノミコトの4男 オオトシ。 出雲から九州地方に進出したスサノオは 現地勢力アマテラス率いる日向王国と連合政権を樹立。 当時は末子相続の世。アマテラスの孫 (後の)神武天皇は、大和に進出したオオトシ(天照ニギハヤヒ) の末子娘イスケヨリヒメの婿となった。ここに大和・日向の連合政権が誕生した。 大枠は上記らしい。(原田常次氏著「日本古代正史」) とは言え、宮崎地方でも天照大神ことオオヒルメムチノミコトを祭る神社は少ない。神社数では最大の八幡 様こと総本山 宇佐八幡宮の祭神 応神天皇とは何者か? 秦の符楽である と 作家 落合惠子氏は 述べるが??? |
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日本最高のパワースポット発見!! ( 発見とはおこがましいが) 平成22年2月 地元婦人会の1泊2日旅行に添乗した。 集合・出発は”五柱稲荷神社”前 舘山寺温泉・欽龍に1泊し 翌朝 豊川稲荷に参詣。現地ボランティアガイド氏の説明 「 この門の外までは、 お稲荷様は神様です。 この門の内側からは仏様のお稲荷様になります。正式名は円福寺豊川閣妙厳寺 本尊は千手観音ダキニ天」? 小職が口をはさむと 話はもっとややこしいことになるのが通例。 「稲荷神社は京都 伏見稲荷を総本山とし、ウガノミタマことスサノオノミコトの4男で、オオトシノミコトの弟‥ ‥。 ところで 五柱稲荷とは誰が祀られているんですかね? 私が五柱の一人ということはないですよネ?」 と ヘラズ口 ツアー解散時、参加者のお一人「高橋さん、歴史に興味お持ちのようなので、これ(五柱稲荷御由緒)さしあげます。 うちの 息子が神主をやっているのですよ」 栞をみて 小職ビックリ。内心「ヤッター、バンザーイ」 ウガノミタマノミコト (衣食住の神) オオトシミオヤノミコト (五穀の神) オオナムチノミコト (福島の神) オオミヤノメノミコト (和合の神) スサノオノミコト (勇武の神) なんと 日本建国の主 スサノオ ファミリーが 義理の息子 大国主命(オオナムチノミコトと同人、 いや同神)を含め祀られている。 歴史の迫害に耐え、よくぞ 日本の真実を伝えてくれた!! |
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五柱稲荷神社 東京都墨田区 緑4丁目11−6 |