荒神谷遺跡 弥生時代中期に製造されたと見られる銅剣 358本が発見された。 |
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【コメント】 卑弥呼の邪馬台国が紀元後約200年頃の存在。そこから300年前 ここ出雲には 銅剣358本を所有する王権が存在した。 344本の銅剣には鋳造後タガネ状の工具で X印が刻まれている。 現地での観察では、貴重な宝物を神に捧げ 神に何かを祈ったのではないか との印象 を持った。( 島根県立古代出雲歴史博物館のある モデル展示 の影響も大きいか?) この後、車で約20分 加茂岩倉遺跡に向った。仏教山を挟んだ山裾に位置する。 (両遺跡とも 斐伊川上流に位置する。) 八岐大蛇伝説の地である。銅剣、青銅器 など どうも江南文明の特徴が濃い。 榎本出雲、近江雅和氏著「古代は生きている」によれば、 X は匈奴のシンボルと言う。 と、いうことは 紀元前200年頃繁栄した 江南文明系統の出雲王権は 匈奴系(新羅系と 理解してきたが)スサノオノミコトに代表される勢力の侵攻の前に、王権滅亡の危機を 迎えた。 道教系祈りによって X匈奴の抹殺 神の加護を祈願したのではないか。 全宝物を捧げた 神への加護もむなしく、鉄製武器を所持したスサノオ系勢力の前に 旧江南文明系勢力は殺戮され、斐伊川を赤く染めた。 和睦を条件とした、酒宴などの戦略も駆使されたのだろうか。 蛇をシンボルとする江南文明 はここに滅びた。 八岐大蛇伝説の実態は こんな歴史の反映なのか・・・ と想像した。 |
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加茂岩倉遺跡 仏教山を挟んで 荒神谷遺跡と反対側山麓。 39個の銅鐸が発見された。 (写真 バケツが埋もれているように 見えるのが 銅鐸のレプリカ。 本物は国宝指定。 出雲大社 近くの 島根県立古代出雲歴史博物館で 見学できる。) |
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高山・位山に伝わる伝説では、八岐大蛇は「オロチョン族」(興安嶺に住み、シャーマニズムを信仰する狩猟民族)と伝えられている。 オロチョン族が匈奴系であるかは、小職現時点では不明。 銅剣、銅鐸の製造は紀元前200年頃と発表されている。 スサノヲノミコトは記紀では、アマテラスの弟神。、原田常次氏の神社伝承によればアマテラスと婚姻関係にあったと述べる。 いずれにしても 二人は同時代に活躍したと考えられる。 アマテラスを邪馬台国卑弥呼と比定したとすれば、二人の活躍は紀元後 200年頃。 300年の時間差が出る。 同じ場所で 多くの種族の 王権の簒奪が繰返された時、謎とき はむずかしい。 |