神降池(上高地)明神池 穂高神社 奥の院
 伊勢
   告白します。「私はアマテラス様が大好きです。
         あなたは聡明で、思慮深く、美しいお方です。野に咲く白百合のように、本来は控えめで 静かに瞑想にふけり、
         私どもに、いつも正しく、進むべき道をさとしていただいておりました。
         政治と歴史の中で、皇祖神などと仰々しく祀り上げられ、はなはだ迷惑なことでしょう。 いつかは国民にも真実が
         わかってもらえる時がまいります。どうぞ肩の荷をおろし、寛いでお待ち下さい。」
         高山市郊外 「位山」に伝わる伝説です。穂高神社を信奉する安曇野一族に関連する伝説と考えられ、10月8日
         奥の宮が祭られる上高地(神降池)明神池での御船神事からの想像です。
                  おそらく、中国揚子江(江南文明)の流れを組む文明がアマテラスに代表され、黒潮に乗り南部九州に、日本最初の
         文明として開花した。時期は三国史,五胡16国時代。
         次に 高句麗・百済を建国した扶余族(スサノオノミコトに代表される出雲文明)が日本を席捲し、初めての統一国家
         を樹立した。(10代崇神天皇?)
         白村江の戦いで、新羅・唐連合軍に大敗し日本占領の危機を経験し、壬申の乱の勝利で、豪族支配の連合政権から
         初めて天皇を中心の強力統一国家体制樹立に迫られた、天武ー持統天皇、藤原不比等ラインは、改めて 初期文明
         のシンボルとして、天照大神・伊勢神宮をかつぎだし、国家神道とした。
         伊勢神宮・内宮参拝の後は、いつも爽やかです。片思いの初恋の人に思慕するように。
        
 伊勢の歴史も経緯も熟知した西行法師が,苦悩の末に詠んだ歌。( ? と、思うのだが)
       
  『 なにごとのおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる 』
ここが謎 参考文献
   【アマテラスオオミカミ】とは誰か? 一般的には @卑弥呼 A神功皇后 B持統天皇の
   いずれかがモデルでは と推測されている。
   熊野三宮には「蟻の熊野詣」と称されるほど、上皇、天皇などの参詣が相次いだに比べ、
   伊勢神宮への皇族の参詣は、まさに0 であった。( 明治時代以前)
   孝謙天皇が道鏡へ天皇位を譲位したいとの際、神託を伺ったのは 伊勢神宮ではなく 
   宇佐八幡宮であった。
伊勢神宮の正統な 説明は ⇒
「伊勢神宮」 所 功氏著
アマテラス!あなたは律令制国家の幕開けとともに、ニギハヤヒの翼から天高く飛びたった。
「天疎向津姫」からアマテラスへ。この時期は藤原不比等のもとで、大宝律令や古事記が完成
され平城遷都が実現された、新しい時代の幕明けの時だった。ところが時は移り、明治維新を
迎えた。強力な統一国家を目指す政府は、あなたの長年培われた人気を人心統一のシンボル
として利用した。床下で行うユキの大みけをはじめ色々な行事やしきたり、(ニギハヤヒの影を
おとす)は一掃された。( 右記 「女王アマテラス」より転載
「女王アマテラス」小椋一葉氏著

「天孫降臨の夢」 大山誠一氏著
  皇室の杓(?) などは 必ず 高山・位山のイチイの木を使うという? 高山伝説の書 「日本起源の謎を解く」
山本建造氏著
  各地の神社などに伝わる古文書から 古代史を読み解いた大書 ⇒ 「古代日本正史」原田常治氏著
ここをチェック 場所
伊勢神宮 灯篭 (内宮と外宮を結ぶ参道)建国の謎 興味の発端はこれ
最上部 16菊花紋 下に ダビデの星
伊勢神宮内宮 伊勢市
伊勢神宮外宮
伊雑宮 磯部
天の岩戸
宿泊地 旅館名 宿泊代金の目安 概要
賢島 宝生苑 14000円〜  全客室が海の眺望。全面開放式の大浴場、露天風呂など緑ゆたかな庭園など ゆとりの充実したリゾート旅館
鳥羽 戸田家 14000円〜  国道42号線沿いで海辺に建ち鳥羽駅や観光施設にも近く観光の拠点に最適。自慢の一つは「戸田屋温泉村」
 ユニークな露天風呂等が多数
 参考日程   古代史表紙へ   問合せ・申込用紙へ   ケンツアーズ表紙へ